反芻⑵

こんな森の中に一人でいるなんて、危ないんじゃないか。そう思い少女に尋ねると、なんと家には彼女一人だという。驚きを隠せず、反射的に歳を聞くと、九歳だと言う。呆気にとられた。まだ小学生じゃないか。まあ、家庭の事情は人それぞれだから口出しは余計な事なんだろう。しばらく会話を交わしていると木造の小さな小屋が見えた。材木はまあ当然白樺だろうな。ピカピカの黒塗りの屋根が、自然な雰囲気のこの場所にはミスマッチだった。「すみません、狭いところで」少女は苦笑いする。「いや、そんなことないよ。大丈夫」嘘ではない。確かに広くはないが、窮屈さはさほど感じない。大きな窓が両壁についているからだろうか。「どうぞ、座ってください」礼を言って腰を下ろした。まもなく香ばしい香りが部屋に行き渡る。「はい、出来ました」少女はスープの入った鍋を、うさぎの形をした木製の鍋敷きの上にゆっくりと乗せた。「これは、かぼちゃのスープかな ?すごくいい匂いだ」「そうですよ、かぼちゃです。はい、どうぞ」パールグレーのスープ皿を手渡した。「好きなだけとってくださいね」僕はお言葉に甘えて結構多めにいただくことにした。お玉で何杯か掬い取る。湯気が鼻腔をくすぐる。お腹減った。「じゃあ、いただきます !」「いただきます」――パンとスープで一気に腹が満たされた。「ありがとう。すごい、美味しかったよ」重ねて礼を言うと、少女は心底嬉しそうに笑う。あっ――と何かを思い出したような顔をした彼女は立ち上がり、大きな土鍋を持ってきた。「あのお、良かったらこれ食べませんか ?昨日の夕飯残りなんで、嫌だったらいいんですけど……」料理の味を褒められて気を良くしたのか、それともただ残り物を処分したいのか。赤いギンガムチェックのキッチングローブを付けた手で、鍋蓋をふわっと持ち上げた。「雑炊です」正直なところ、まだ僕は食べ足りていなかった。物足りないので、またもいただくことにした。カニ雑炊だ。僕はカニが好きなのでばくばく食べた。勢いよく食べる僕を見て少女は微笑んだ。「私も食べようかな」彼女も食べ足りなかったのだろう。自分用の箸と椀を持ってきた。その合間に僕は食べ終わってしまった。彼女は自分だけが食べているのは気が引けるのか、おかわりしないかと尋ねるが、もう山盛り三杯も食べて満杯であるので断った。しばらく彼女がもくもくと食べるのを見つめていた。――嫌なことに気が付いてしまった。彼女は変な箸の持ち方をしている。明確な握り箸ではないが、ちゃんとした持ち方でないことは分かる。気になると言わずにはおれないたちなのだ、僕は。でも言ったら、気を悪くするに違いない。けど、言わなきゃ。「キミ、箸の持ち方おかしくない ?」咎められたことに対する不満の表れか、口を尖らして少女は言う。「知ってます。知ってるけど、もう直りませんから」「でも、直さないと」「直さないと ?」「直さないと、育ちが悪いと思われるじゃないか」「はあ」「だから、きちんとした持ち方に――」「だって、もうこれ直んないですから。出来ませんから」僕が話し終える前に少女がさえぎった。「しょうがないです、出来ないんです」少女は早口でまくし立てる。「……」ふつふつと怒りがわき上がる。「……なんだよ。何だよ、その箸の持ち方は !育ちが悪いと思われるだろうが !直せ !こうだ!きちんとしろよ!」僕は声を荒げていた。「これが出来ないのはお前の努力不足だ!頑張れば、出来る」「出来ません……」「いや、出来る」「出来ない」「出来るんだよ !」しばらく押し問答を繰り返すと、彼女はさも呆れた、といわんばかりにため息をついた。「…生き辛くはないですか ?」「え ?」「だからあ、生き辛くはないですかあ ?そんなこと出来なくたっていいじゃないですか。そんなこともありますよ。大丈夫ですから。こんなこと出来なくたって……」教え諭すような態度に辛抱たまらなくなり、僕は彼女のほほに平手で打った。彼女は僕を睨みつける。僕は彼女がますます憎くなる。「お前、いっつもそうだな」吐き捨てるようにつぶやいた。途端に彼女はひどく顔を歪めた。「……うるさい!自分がそんなんだからだろうが!だからお前は駄目なんだ。この理想主義者が!死ね!」矢継ぎ早に少女は僕を罵った。怒りが頂点に達した僕は椅子が倒れるのもおかまいなしに彼女の腕を強く引っ張った。椅子から崩れ落ちた彼女に馬乗りになる。首筋を力の限り、両手で握りしめる。目をかっぴらいて、顔を真っ赤にして彼女はもがく。顔が赤黒く変色していくなかで、彼女自身もまた形を変えていた。少女の表皮――皮膚がべろりと剥げ、新たな肉が、中身が現れた。脱皮した元少女は男の形をしていた。よく見る、鏡でよく見る。男は鏡でよく見たようなそうでないような顔をしている。僕だ。まごうことなき醜い憎い造形。僕だ。僕自身だ。僕は、僕の首を絞めている。僕は――僕の口の端からぶくぶくと泡が出てきた。僕は首をかきむしるが、僕は勢いを緩めなかった。あらゆる怨念を二つの掌へと注ぎ込む。そのうち力尽きたのか、かくん、と全身の力が抜けた。白い顔の僕であるはずの僕の肩をゆすってみても、生後間もない赤子のようにぐらぐらと頭が揺れるだけだった。――瞬間、少女が僕の顔を覗き込んだ。僕は床にあおむけに倒れていた。僕の上に少女が跨っている。僕が下で少女が上になっている。ひっくり返っている。形勢逆転だ……。少女が僕の首を絞めようと首筋に手をかけた。あれ?おかしい。「キミは僕が殺して、死んだんじゃ――」「私は、救ってあげたのに」「え ?」何を言ってるんだ。僕の喉仏を、彼女は強く強く押しつぶした。「うっ……」「助けてあげたのに」「ぼ、くは、救われてない。た、助けてもらって、なんかない……」少女は瞳を濡らしながら、僕に優しく微笑んだ。「あのかぼちゃスープ。毒入ってるの」その言葉を最後に、視界が揺らいだ。ぐにゃりと世界がマーブル状になる。すべてがどろどろに溶けて、一体感の中に落ちてゆく。どこまでも奈落を落ちてゆく。気持ち悪いので目を閉じて、ただ、耐えた。ズシン――と確かな重力を感じた。底に着いたのが分かった。恐る恐る、目を開くと、そこは白い部屋だった。僕の鼻、腕、足――体の至る所がチューブで繋がれていた。僕はベッドに横たわっている。無機質な白い壁が、僕を取り囲んでいた。

 

 

 


 駄洒落

霧の中(霧中=夢中=夢の中)

九歳(救済)の黒いワンピース(喪服)の

三つ編み(縄・ロープ)の女の子

女の子が持っていた蔓(吊る)で編まれたかご

掬う・救う