紙・風船(仮)

昔のことを思い出した。いつかの夏休み、従姉妹のカナちゃんと僕と父とでどこかの神社へお参りに行った。車から降りて駐車場の壁面の上を見上げると、大きな朱色の鳥居が連なっていた。僕たちは傾度のキツい坂を少しずつ上っていった。道の左側には個人経営であろう店が数軒立ち並んでいた。錆び付いた看板を見るにきっと常連客しか来ないのだろう。休憩所、土産屋、食堂という感じだろうか。店先では、おばさん二人が日に焼けたビーチパラソルの下で優雅にお喋りをしている。何かに気づいたおばさんが僕らに声をかけた。「ね、もしかして××さんの」僕の父が振り返った。少し間があく。「あ、そうです。そうです息子です」合点が行った父はおばさん達に笑いかける。知り合いなんだろうか。「おばあちゃんの友達だよ」父は僕たちに説明する。挨拶なさい、と僕の背中を少し押す。「どうも」僕は人見知りだ。ボソッと呟くような挨拶しか出来ないんだ。カナちゃんはにかみながらペコリとお辞儀をした。「良かったら何か飲まない ?」エプロンを付けた方のおばさんが言う。「そうしよっか ?」父が僕たちに尋ねる。正直なところ、僕はかなり喉が乾いていた。結構な日差しのなか坂を上るというのは、日頃運動をしない僕には大変なことだった。僕がうなずくとカナちゃんも頷いた。「お金はいいよ」気前よくエプロンおばちゃんは笑う。「いやいや、そんなそんな」父は大袈裟に手を振ってみせる。しばらくそんなやり取りを繰り返し、おばちゃんの押しに父は負けた。店内は外から見るより断然小さい。奥行きがあまりない。テーブルは三つしかなくて、そのいずれも商業用ではなく一般の家庭用のものに見えた。床はそのまんまのコンクリートで少し砂が散っている。短冊を拡大したようなかき氷のポスターがカウンターに並べて貼ってある。左からイチゴ、メロン、レモン。三枚とも色褪せていた。かろうじて文字が読める程度で、イチゴもメロンもレモンもみな薄い水色だった。エプロンのおばさんがお盆に三つコップをのせてカウンターの向こうから出てきた。座っている僕たちの前にトン、トン、トンとコップをリズミカルに置いた。何だろうこれは。麦茶かな。ストローをくわえる。冷たくて、甘い。麦茶じゃない。何だこれは。少しだけにごりのある琥珀色の飲み物。ほんのりしょうがの味もする。熱い体に染みる。おいしい。でも、これは何なのか。父に聞くとこれは冷やし飴というらしい。懐かしい、と父は言う。「おいしい ?」エプロンおばさんがにこにこと尋ねる。僕は頷いた。カナちゃんはストローを手で固定してごくごくと冷やし飴を飲み干した。「あ、ちょっと待ってて !」エプロンのおばさんと世間話をしていたもう一人のおばさんが立ち上がり言った。パタパタと隣の土産屋に行き、何やら木製の箱を持って返ってきた。「そう、これ何か欲しいのある ?」なにかと思い覗くと昔のおもちゃだった。紙風船や手のひら大の風車、ヨーヨーなどがビニールに包まれたままたくさん重なっていた。僕は何となく風車を貰った。カナちゃんは紙風船。父はヨーヨーを手に取った。喜んだのは僕やカナちゃんより父だった。「ヨーヨー出来るか ?」僕たちが首をふると、父は得意になって店の前でヨーヨーの技を見せてくれた。「あら、すごおい!」やんや、やんやとおばさんたちも喜ぶもんだから父も益々やる気になってさらなる大技を繰り広げた。なんだか父が子供に戻ったみたいでおかしかった。おばちゃん二人に礼を言って店をあとにする。また上り坂をゆっくりと上る。カナちゃんは紙風船の包装をはがし、息を吹いて膨らませた。ぽんぽんと手で弾いて浮かせた。僕も混じってポンと突く。負けじとカナちゃんもポンと突く。そのとき、強い風が吹いた。風に煽られて、軽い紙風船はあっというまに後ろに吹き飛んだ。カナちゃんはパッと駆け出してそれを追いかける。反転して下り坂になった坂は、カナちゃんの足を勢いづかせる。それでも紙風船はひらりと交わし続ける。坂を転がり続ける紙風船。つかまえた!勢い余って、カナちゃんは紙風船を踏み潰してしまった。追跡の対象を失ったカナちゃんはしばし呆然としていた。僕と父もカナちゃんに追い付いた。カナちゃんは涙目だ。「割れちゃった」としゃくりあげている。潰れた風船を握りしめている。ひっくひっくと呼吸する。その姿が余りにも可愛くて、滑稽で、可哀想で、バカみたいで僕は思わず笑ってしまった。大笑いする僕を見てカナちゃんはいっそう激しく泣く。しばらくの間、父はカナちゃんの背中をさすって慰めた。結局、それからあと上に上っていくことはなく、帰りにカナちゃんの好きなパフェを食べるために喫茶店を経由して家に帰った。後々そのことを思い出した僕は、僕らが行ったのは伏見稲荷大社だったんだろうと思っていた。父に聞くと、違うというのだ。僕は勘違いしていたらしい。でもよくよく考えると、そんな有名なところが寂れてるなんて確かにおかしい。結局、あれはどこだったんだ。名前も聞いとけば良かった。