サテライター

どうしてだか分からない。朝、起きると背中が濡れていた。寝汗だろうか。冷たい。気持ち悪いから着替えよう。体を起こすと、床には見覚えのない紙がまんべんなく散らばっていた。何が書いてあるのかよく見えない。とりあえず踏んで滑らないように慎重に立ち上がる。わずかに手の甲に痛みを感じた。人差し指と中指の関節が赤く腫れている。何で腫れてるんだろう。分かんないな。大きく背伸びをすると目眩がした。最近頭が痛くなるようなことが多い。例えば面倒なレポート課題、そして僕に対しての彼女の態度。おかしい。なんか変だ。一ヶ月ほど前から異変を感じていた。彼女はどこか、ぎこちなかった。それでも直に本人に言うほどの勇気はなかったし、一過性の類いのものだと思った。それに僕はめんどくさがりだ。まあ、時間がなんとかしてくれるだろうという気持ちもあった。心配はしていたが、実際それを伝えて問題がこじれるなら、放したままのほうが良いんじゃないかと内心思っていた。思ってはいたんだけど。ここ何週間の間で確信したことがある。彼女が僕を見る目。目には見るからに怯えの色が混じっている。彼女は僕を恐れている。怖がってる。確実に。何でなのかは分からない。僕が何かしでかしたのかもしれない。全くどうしたら良いのか検討もつかない。問題は、彼女は打たれ強くないってことなんだ。彼女は繊細なんだ。「いっつも意外だって、皆が」「何か気強い奴みたいに思われる」そう彼女は僕に伝えてくれた。それを僕も聞いていた。彼女は本当は強くなんかなくて人一倍寂しがりやなんだ。華奢で、脆くて、そして傷つきやすいんだ。さながら僕はサテライトなのだ。衛星のように彼女の周りをくるくると周回して、ただ彼女を守りたいのだ。彼女も僕にだけ伝わる秘密の合図を送ってくる。僕は敏感にそれを察知する。彼女は日々を怯えながら過ごしてるんだ。助けて、助けてと。いつも助けを、求めている。メーデーなのだ。遭難信号なんだ。だから僕が。彼女のためならば、と。でも僕は、そんな彼女から拒否されことを僕はひどく恐れている。でもでも、拒まれることが嫌なのは誰だってそうだろう。僕だけじゃないんだ。だってそうだ。だからこれは言い訳だ。隠すための言い訳。打ち明けないままでいるための言い訳。傷つけたくない。そんな大義名分の下、ひた隠しにしている。行き場のない僕は傷つきたくないだけなのかもしれない。でも本当はそれ以上に、今の関係を崩したくないんだ。僕は忠犬なのだ。彼女の忠実なる犬なのだ。ポチや、ポチポチと。ああ、いい子だねえ、ヨシヨシと。僕を呼んで戯れてほしい。すべては、僕が我慢すれば済むことなんだ。逸る気持ちを抑えるのだ。耐えれば、どうにかなるんだ。そう思うのは浅はかなことだったんだろうか。頭が彼女で満杯で、満たされていて、せっかくの休日にも関わらず、何にもする気が起きずにただただ横になっていた。そうして毎度のごとく、日が落ちかけた薄暗いすすけたような夕方の空気の中、彼女のもとへと足を運んだ。また、今日も彼女がいつも違った。明らかに表情が違う。気づいてしまったのだろうか。僕が気づかせてしまったんだろうか。気のせいであってくれ。そう思うより早く彼女は脅えた目を僕に向けた。嫌な予感は的中してしまった。目が合うと同時に彼女はくるりと身を翻した。僕から逃れようとしているのか。逃げたいのか。僕は焦りで平常心を失い、思わず彼女の手首を掴んだ。彼女は動かない。でも今にも泣きそうだった。僕の手を振りほどこうと躍起になっている。僕は思わず彼女を壁際に追い詰める。ここで逃げられたらたまらない。叫びたい気持ちがのど元を圧迫している。奥のほうからせり上がってくる焦燥感が胸を押さえつけるので、思わずえずいてしまいそうになる。問い詰めたい。言いたい。何でだ、と。理由は何だ。彼女を直視できない。完全に目が泳いでいる。初めて彼女の手を触ったから。後ろめたさから彼女の視線に耐えられず、思いっきり目を逸らした。僕たち二人だけ、透明な膜に包まれたようだった。膜の中は静まり返っているのに、外はとても賑やかだ。楽しそうな笑い声が聞こえた。現実味がないまま、どこか遠くから自分を見ている自分が居た。当事者意識なんかさらさらなかった。僕は傍観者だった。全く他人事だった。いつも、僕の頭の中で考えが拮抗していて、思いついては反論して、自問自答のようなものだった。自問自答のようなものだというのはいつも答えが出なかったからだ。いつまで経っても答えは出ないんだ。答えを敢えて出そうとしなかった。だけど、もういいんじゃないか。解放されても良いんじゃないだろうか。いつからだろうか。僕の中で増幅された「彼女」はもはや名前だけ借りた別の存在になっていたんだ。だけど、もうそんなことどうだっていいんだ。